東北の覇者,伊達政宗.真っ先に頭に思い浮かぶのがNHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』である.原作は山岡荘八,主演が渡辺謙.ハリウッド映画『ラスト侍』で渡辺謙がアカデミー賞にノミネートされた時に「これでやっと政宗から開放される」といったというから,渡辺謙にとっても相当に思い出深い役だったに違いない.
政宗は梵天丸と呼ばれた幼いころに疱瘡を患い右目を失明.刀の鍔で右目を覆ったことから『独眼竜』の異名がついた.しかしながら,政宗の死後に描かれた肖像画には両目が描かれている.政宗は親から授かった身体の一部を欠いたのは親不孝であると考え,自身の肖像画や像には両目を入れることを望んだという.仙台市博物館には狩野安信が書いた政宗の肖像画が展示されている.心持ちか右目が小さい.
肖像画の左上に書かれた漢詩は晩年の心境を詠んだものだ.
馬上少年過(馬上少年過ぐ)
世平白髪多(世平らかにして白髪多し)
残躯天所赦(残躯天の赦す所)
不楽是如何(楽しまずんば是如何)
若い頃は天下を夢見て戦いに明け暮れたが,今は世も治まり身は老いてしまった.と天下を取れない悔しさを詠んだものだといわれている.
天下統一を夢見た政宗.しかし,生まれる時代が遅かった.織田信長が岐阜城に移り天下布武を目指した年に生まれ,家督を継いだのは本能寺の変から2年後のことである.米沢を拠点にして領土を広げようとした頃には,天下の情勢はあらかた秀吉のもとへと傾いていた.
生れ落ちた場所も悪かった.この頃の,中央と地方の兵力の差は歴然たるものがある.秀吉に小田原攻めの参戦を要求され,半ば強制的に秀吉の軍門に降り,秀吉の勢力の大きさをまざまざと見せ付けられた.戦乱が収まりつつあるこの時期,もはや正攻法では天下を狙えない.
それでも,政宗は天下を諦めなかった.各地で一揆を煽動.周辺勢力を弱めると同時に領土の拡大を図った.渡辺謙演じる大河ドラマで秀吉に一揆煽動の嫌疑をかけられ,申し開きをするシーンが面白い.秀吉が入手した一揆勢宛の書状が政宗によって書かれたものだという疑惑だ.書状には政宗の花押が添えられている.花押とは自分が書いたというサインを意味する.
これが政宗によるものだとすると秀吉に対する謀反だ.花押は偽物で身に覚えはないと政宗は主張した.政宗の花押は,鶺鴒(セキレイ)という鳥をあしらったものだ.本物の花押は鶺鴒の目の部分に針で小さな穴を開けている.その花押の目には穴がない.だから偽物だと主張した.限りなく黒に近い.しかし,秀吉にはそれ以上に政宗を追い詰める術を持っていなかった.計算しつくされた弁明によって政宗は赦免された.
仙台市博物館には政宗の家紋が書かれた書状も展示されている.大河ドラマのエピソードを思い出しながら,政宗の家紋,鶺鴒の目に見入った.もちろん穴が開いていることは確認できない.
天下取りに向けた政宗の一番大きな賭けは,家臣の支倉常長を慶長遣欧使節団としてローマに派遣したことであろう.スペインと通商条約を結び海外貿易航路を開くというのは表向きの理由.スペインの軍事力を使って日本の天下取りを夢みた.海外の力を借りて幕府の転覆を図ろうとした.
用意周到に伏線も張り巡らせた.家康の家臣である大久保長安に近づき,援助の約束を取り付けた.娘の五郎八姫(いろはひめ)を家康の六男,松平忠輝に嫁がせた.忠輝は勇猛な性格で家臣や民衆には人気があったが,『色黒くまなじり裂け怖ろしげ』という怪異な容貌によって父家康からは疎まれた.政宗はそこに目をつけた.忠輝を使って徳川家を分裂させることができる.
しかし,政宗の野望虚しく,後援者の長安は死去,娘婿の忠輝は改易.スペインとの同盟は不調に終わり,政宗の計画は頓挫した.それからの後は,天下をあきらめ,自国仙台の開発に力を注ぎ,開拓や運河の整備,上方文化の導入を奨励.秀吉から家康へと渡り歩き,徳川家には家光の代まで仕えた.
仙台城は関ヶ原の戦いの後に造営した居城である.当初は千代(せんだい)といったが,政宗によって改名.青葉山に位置する事から,青葉城と呼ばれる.青葉山と広瀬川による天然の要害だ.
青葉城跡までの道は,思いのほか車の交通量が多く,空気が悪い.もとより歩くことは考えていないのだろう.車道と歩道の明確な区別もなく道も歩きにくい.なだらかな斜面が続き,思いの他疲れが溜まる.世が泰平になると山城は不便だ.政宗もこのことは感じていた.自分の死後は城を移すように勧めている.その言葉通り二代目藩主忠宗は平坦な地に二の丸を造営し,そこに居住した.
所々にそびえたつ石垣を見上げながら歩いていると,青葉城の入り口に位置する鳥居が見える.青葉城は仙台大空襲によって大部分を焼失した.当時のものとしては知事公舎正門に移築された城門が残るのみである.本丸の跡地には護国神社が建てられ,土産物屋が並ぶ.唯一といってよい見所は政宗公騎馬像であろう.今のものは2代目であり,初代は戦争中の金属不足のために回収された.
東北は冬の寒さが厳しい.その中で耐え忍び育つからであろうか.一般的に東北人の気質は,おとなしく控えめだなどといわれがちだ.しかし,政宗にこの気質は当てはまらない.豪華絢爛で派手好き.自分を見せるためのパフォーマンスを心得ていた.
秀吉に謀反の疑いをかけられたときには,全軍に白装束を着せ,十字の磔柱を担ぎ街を練り歩き,秀吉への忠誠心を見せた.朝鮮出兵時には豪華絢爛な戦装束を身にまとい,周囲を見惚れさせた.派手な装いに対する『伊達者』という言葉はここに由来する.
政宗の驚くべき政治力は国際感覚の豊かさであろう.支倉常長によって多くの文化を流入した.仙台市博物館ではその一端を見ることができる.世界地図から天文図に始まり解剖書にいたるまで当時の最先端技術が展示されている.貿易といえば南国を連想するが,ここ仙台も鎖国が始まるまでに多くを文化を吸収した.
さて,政宗の廟所は経ヶ峯にある.死期を感じた政宗は,経ヶ峯に廟所を造るよう指示.二代目忠宗が廟所を造営した.経ヶ峯への入り口に立つと崇高な雰囲気が漂う.緑が生い茂る坂道を登ると菩提寺の瑞鳳寺が見え,山門には下馬の石標が立つ.ここから先は何人たりとも馬上であることは許されない.
政宗の廟所である瑞鳳殿へは杉の参道が続く.この参道は戦火を免れ藩政時代からのもの.梅雨の季節には紫陽花が咲き乱れていて彩が美しい.
瑞鳳殿は桃山様式の威風を今に伝える豪華絢爛たる廟建築だ.惜しくも戦災によって焼失したが,昭和54年に再建された.再建の際には,伝統的な彩色方法が取り入れられ,孔雀石を砕いた緑青,藍銅鉱を砕いた群青,辰砂(硫化水銀)による朱など彩り豊かな彩色が特徴だ.
色鮮やかで美しい.本当にこのような色使いだったのであろうか?当時のものも戦争までは残っていた訳だから焼失前の建物を見ている人はたくさんいるはずだ,と思えばそうでもないらしい.当時は非公開で知る人は少ない.まだカラー写真はない.資料としては東北大学の先生らが書いた数枚の色付けされた絵が残っているのみだ.それを元に復元したという.
瑞鳳殿の先には,二代目忠宗の感仙殿,三代目綱宗の善応殿が続き,幼くして亡くなった公子公女の墓域にあたる御子様御廟がある.伊達家に関係する者たちが静かに眠る中,政宗の瑞鳳殿は今なお一際強く光り輝いている.
(2006/7/18~21)
| 津本 陽 「独眼竜政宗(上・下)」 文藝春秋
「かほど似たる字を,そのほうに書ける者は,あろうかなん」秀吉の眼光は,射るようにするどい.書状には政宗の花押があった.花押とは,わが署名を草書化して図案の形にしたものである.政宗のものは,鶺鴒の花押といわれ,鶺鴒の形に似ている.本人のみがなしうる複雑な曲線,筆癖があって,花押の価値がある.政宗は二通の書状を,しばらく注視していたが,やがておちついた声音で答えた.
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