『忠臣二君に仕えず』に象徴される武士道は,平和な江戸期になってから確立された精神である.生きるか死ぬかの戦国時代.武士は主君を変えながら己の存続を優先した.その成功者,藤堂高虎は時流に乗り,主君を替えながら伊勢国津藩の藩主にまで上り詰めた.
高虎の生まれは領主から没落した農民である.とはいっても,戦国時代にはまだ兵農分離は進んでいない.武士と農民の区別は曖昧なもの.平時は鍬を持って田畑を耕し,戦があれば刀に持ち替えて出陣する.それが一般的であった.
浅井長政に目をつけた高虎は,浅井家のために姉川の戦いで初陣.浅井家臣の阿閉貞征に仕えた.しかし間もなく浅井家は滅亡.その後は磯野員昌や信長の甥・津田信澄の元を渡り歩いた.
信頼できる主君に出会ったのが天正4年(1576).高虎,21歳の時である.秀吉の弟,羽柴秀長に仕えた.勇猛果敢な高虎は190cmの大きな体を奮い立たせて,秀長の元で中国攻め,賤ケ岳の戦い,九州四国征伐など各地を転戦した.働き所を与えられたことが嬉しかったのであろう.秀長に対しては死ぬまで忠誠を誓った.
秀長の死後は秀長の養子・秀保の後見となるが,秀保は若くして死去.その後は秀吉に仕えた.機を見るに敏とは正に高虎のような人を指すのだろう.秀吉が衰弱すると,家康に接近している.
そして,関ヶ原の戦いでは家康に味方.裏切り工作などの戦功によって伊予今治に20万石を領する大名にのしあがった.その後,江戸城改築などの功も認められ,最終的には津藩32万石に加増された.
津は,古くは安濃津(あのうつ)と呼ばれ,福岡の花旭塔津(はかたのつ),鹿児島の坊津(ぼうのつ)と共に日本三津(さんしん)として栄えた港町だ.また,伊勢参宮の宿場町として栄え,伊勢音頭では『伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ』と謡われている.
前者の伊勢は伊勢の国,後者の伊勢は伊勢神宮を指す.一番小さな伊勢神宮が津藩,さらに大きな伊勢の国を支えているという皮肉である.町造りをする際に,高虎はこの伊勢神宮に目をつけた.
海岸近くに通っていた伊勢街道を城下町へと引き込んで人の流れを呼び寄せたのだ.津藩の宿場町は,伊勢神宮に詣でる参宮道者で大いに賑わった.津は伊勢でもつと謡われる由縁だ.
さて,現在の津はどうであろう.電車や車で移動する昨今,降りることのない通り道になってしまった.三重の県庁所在地ではあるが正直パッとしない.同じ県にある四日市市よりも人口は少なく,人口の少ない県庁所在地として山口市と張り合っている.名産も名所も思い浮かばない.
『歴史街道,津』という宣伝文句を見かけ,行ってみよう歩いてみようと思った.
降りた駅は,津駅.11代藩主,藤堂高猷(たかゆき)が別荘を作ったという偕楽公園から県庁を抜ける.聖徳太子創建との伝承がある四天王寺を過ぎ津城へと向かった.
津城は信長の弟,織田信包(のぶかね)が五層の天守を築いたことに始まる.典型的な平城である.関ヶ原の前哨戦とも言える安濃津城の戦いでは毛利秀元と長宗我部元親の西軍3万を相手に千余りで籠城したというから驚きである.この戦いで大部分が焼失した.
津藩を与えられた高虎は伊賀上野城を戦の城,津城を居城とし,焼失した天守は再建しなかった.明治の廃藩置県によって廃城となり,今では城址に市役所や裁判所,警察署などが建っている.また,本丸跡には高山(こうざん)神社があり,高虎が奉られている.
町を歩いていると鰻屋と寿司屋を多く見かける.なんでも,この周辺は人口比で日本一鰻屋が多いそうだ.昔は魚町と呼ばれた付近の鰻屋に入った.店主の話しでは昔はこの辺りまで海が広がっており,鰻が取れたという.
高虎の墓地は,寒松院にある.
歴代藩主の墓が所狭しと並んでいる.今までに見たどの墓よりも大きくて立派な墓石であった.しかし,この寺自身は太平洋戦争の爆撃によって全焼.傷ついた墓石が爆撃の悲惨さを物語っている.今では墓石だけが並べられており当時の繁栄は見る影もない.
高虎は外様にも関わらず家康からの信頼はとりわけ厚く,日光東照宮の東照大権現の左右には天海と共に高虎像が並べられている.さらに,家康は末代まで藤堂家を津藩から動かしてはならぬと遺言したという.その遺言は守られ,藤堂家は改易されることなく,幕末まで津藩を受け継いだ.
しかし皮肉にも歴史は繰り返される.藤堂家には代々高虎の精神が受け継がれていたのだろうか.機を見るに敏な藤堂家.幕末には一早く徳川家を見限り新政府軍に与した.
幕末の裏切りも印象を悪くしているかも知れない.度重なる主君替えで高虎は評価を下げている.しかし,自分を使ってくれる人物を探し求めていたのであろう.有能な秀長のもとには死ぬまで仕えた.養子秀保が死ぬと秀長と秀保の菩提を弔うために剃髪し高野山の仏門に入っている.そこを抜け出したのは,秀吉に乞われたためである.
一見,世渡り上手にも思える高虎.己を知るものを探していた.
(2006/1/28)
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