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徳川義直が見た定光寺を歩く
JR中央線で名古屋駅から30分ほど東へ行くと高蔵寺駅に着く.ここから先の車窓は庄内川を右手に渓谷が続き,都会の近くにいることを忘れさせる.

高蔵寺の次の駅は定光寺.山の中腹に駅があり,駅から鉄橋を見下ろすと庄内川に吸い込まれそうな気分になる.この駅で乗り降りする乗客はほとんどおらず,改札機代わりの箱に切符を入れて無人の駅を後にする.

駅前には小さな土産物屋のような店が並んでいるが,人の気配はせず,ほとんど全ての店がシャッターを下ろしている.庄内川の断崖にはさびれた駅前には似つかわしくないほど巨大なホテルが建っているが,ここのシャッターも閉ざされており,千歳楼と書かれた看板は白いペンキで塗りつぶされている.

この御時世,寺だけでは人を呼べないのであろうか?

確かにそうかも知れない.しかし,歴史を交えることで定光寺の魅力はとても興味深いものに変化する.定光寺はその魅力を十分にアピールできていないのではなかろうか?

定光寺は尾張藩祖である徳川義直の菩提寺だ.廟所がある.尾張藩については前回にも触れたが,義直について少し補足しておきたい.義直は家康の第9子である.関ヶ原の戦い後に生まれたことからも家康に可愛がられ,家康と共に駿府城で暮らした.

家康死後に名古屋に移った義直は文武両道の名君として伝えられている.学問を好み儒教を奨励する他,柳生兵庫助から柳生新陰流の相伝も受けている.一方で,甥であり年も近い家光との確執が伝えられており,家光が病床に伏した際には大軍を率いて江戸に向かい周囲を慌てさせた.このことが尾を引いたのかどうかは分からないが,御三家筆頭でありながらも将軍を出していないのは尾張藩のみである.

義直は狩りのために瀬戸水野方面によく出かけた.そして,その時に立ち寄った定光寺に惹かれ,そこを自らの廟所に決めた.江戸での死後,その遺命によってこの地に葬られた.

定光寺駅から500メートルほどの急な坂を登ると尾藩祖廟の石碑が見える.ここが定光寺参道への入口だ.石碑の横に立つ『定光寺参道階段165段』の看板を見ただけで疲れが出るが,2代藩主光友の命によって建設された直入橋を進むと美しい景色に目を奪われる.

情緒ある竹やぶと緑に囲まれた石段には所々に地蔵が置かれている.それらに興味を注ぎながらも階段を登り切ると,その先に定光寺本堂が建つ.定光寺は尾張の嵐山といわれる景勝地だ.春には桜が舞い,秋には紅葉が色づく.

義直の廟所はまだ先だ.本堂の脇に建つ源敬公廟と記された門をくぐると再び石段が続く.源敬とは義直の諡号である.まず,始めに目に入るのが獅子の門.左甚五郎作の獅子の像があることからこう名付けられた.左甚五郎とは日光東照宮にある眠り猫の作者として伝えられている伝説の彫刻家だ.尾張徳川家に伝わるものとして納得できる.

悪戯防止のためであろう.獅子の像には網が被せられている.定光寺に伝わる歴史的建造物は保存方法も特徴的だ.歴史的建造物を新しい建物で覆う二重門形式を採用している.歴史的建造物はガラス越しにしか見ることができないため,建造物の細部は分からない.しかし,長く保存するためには仕方のないことだろう.

獅子の門をくぐると,目に入るが龍の門.狩野元信が天井に龍の絵を描いたことから名付けられた.この門の扉にも左甚五郎作と伝わる彫刻が施されている.

龍の門の先には焼香殿,唐門が一直線上に並んでいる.一見して日本風ではない支那式の意匠は帰化明人の陳元贇(チンゲンピン)の設計で儒教式の配置である.当時としては珍しい造りだ.尾張藩に儒教が根付いていたことを感じさせる.

焼香殿の床には,瀬戸焼の施釉タイルが敷き詰められており,ガラス越しにでも重厚な雰囲気を味わうことができる.焼香殿の裏に回ると葵の御門があしらわれた唐門がある.唐門は厳重に閉ざされているが,中には一極高い廟が天を突かんとしている.

これが義直の廟だ.初代藩主の力強さを感じさせる.そして,脇には殉死した九名の墓が義直を見守るかのように並んでいる.

定光寺の横には簡単な展望台がある.店もあるようだが,今はまだ少し肌寒い季節.店は閉ざされていた.近くに併設されている小さな休憩所で腹ごしらえをして,魔法瓶にいれていた温かい味噌汁で一息ついた.次に目指すは水野方面だ.

名古屋から定光寺へと通じる道は殿様街道として伝えられている.歴代の藩主が瀬戸方面への狩りや定光寺への墓参りのために使った道だ.瀬戸街道から尾張旭付近で分岐し水野駅周辺を通り定光寺へと抜ける.

後の開発によってその道の大部分は不明となっているが,定光寺から水野駅までは比較的よく残っていて,歩くことができる.当時の雰囲気を今に伝える貴重な街道だ.難点を挙げると少し分かりにくい.地図を持っていたにも関わらず何度か迷った.もう少し分かりやすい看板などをつけていただきたい.しかし,観光客が少ないからこそ昔の雰囲気が残っているのかもしれない.

瀬戸街道から殿様街道が分岐する付近にはつんぼ石と呼ばれる大きな石と共に面白いエピソードが伝わる.

名古屋城築城の際に,運搬していた石垣用の石が荷車から落ちた.あわてて石を荷車に戻そうとするが,びくりとも動かない.築城のための大事な石だ.おとがめを恐れた責任者は村人に口止めした.村人は役人に何を聞かれても聞こえないふり.誰いう訳でもなく,この石をつんぼ石と呼ぶようになった.

つんぼ石の横には,「右,瀬戸」,「左,定光寺」の文字が刻まれた道標が立つ.瀬戸街道と殿様街道の分岐点に立っていたのであろう.その近くには一里塚も残っている.これらは私の家から歩いて行ける距離に立つ.意外にも自分の住んでいる近くにも歴史を感じさせるものがある.

ちょっと寄り道をして歩いてみると,今まで気づかなかった景色を目にすることができるかもしれない. (2005/3/6)

文章力向上のため,採点に御協力願います:
面白い, まあまあ, 普通, あまり, 面白くない

 

尾藩祖廟の碑と直入橋

定光寺本堂

徳川義直公廟所

獅子の門

龍の門

左甚五郎作の扉彫刻

焼香殿

源敬公墓

殉死者の墓標

殿様街道周辺


今回歩いたコース(誤りがありましたらご指摘いただけますと助かります)

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