尾張地方にいる間に,尾張徳川家に関連する史跡は廻っておきたい.
約260年続いた徳川幕府は初期に幕藩体制の基礎を固めた.武家諸法度のように他を統率するための制度だけでなく,御三家の制度を設け,徳川家自身の世継ぎ問題にも気を配った.
御三家とは尾張家・紀伊家・水戸家を指し,尾張家と紀伊家には将軍家に嗣子がない時にこれを継ぐ権利を与えた.中でも尾張家は御三家の筆頭.家康の九男義直を始祖とし,東海道の要所に位置する名古屋城が与えられた.
二代藩主である徳川光友は藩主の地位を長男綱誠に譲った後,大曽根にあった重臣の土地を収公して隠居所を建設.敷地は光友没後に元の重臣に返還されるが,明治維新後には再び尾張徳川家に返上.現在,その地には徳川美術館が建ち,歴代相伝の大名道具や源氏物語絵巻を展示している.また,同じ敷地内には家康の旧蔵書である駿河御譲本を収蔵する蓬左文庫があり,池泉回遊式の日本庭園を持つ徳川園が公開されている.
徳川園は昭和20年の大空襲によって大部分を焼失.長らく閉鎖されていたが,2004年にリニューアルオープンし一般公開された.戦焼を免れたという黒門以外は新しい建物が多く,歴史を感じるのは難しい.それでも大名の庭園だ.ゆったりとした殿様気分の時間と空間を感じることができる.
徳川園から15分ほど歩くと,光友が父義直の菩提を弔うために建立した建中寺がある.建中寺は尾張徳川家の菩提寺だ.寺の周辺を調べてみると,奥まったところに幾つかの墓碑が立つ.しかし,多くの墓碑は朽ち果てたまま放置されている.
以前,歴代藩主の墓地は本堂の裏にあったらしい.しかし,戦後の都市開発で境内に置くのが難しくなり,初代藩主義直の墓地がある定光寺に移された.定光寺は瀬戸の近くだ.近いうちに行ってみよう.
大曽根屋敷周辺には徳川の歴史が色濃く残っている.建中寺の門には葵の紋が刻まれ,徳川町や葵など周辺には徳川に縁のある地名が多く見られる.白壁町は武家屋敷として白壁の塀が並んだことから付けられた地名だ.
徳川町から白壁町へは出来町通りに沿って歩いて1時間くらいの道のり.この辺り一帯は超高級住宅街となっている.マンションかと見間違うような一軒家の豪邸.駐車場には高級外車が並び,運転手が待機している.あまりの立派さに思わずため息が出る.この白壁町.不思議なことに多くの著名人を輩出している.
歩いていて,まず始めに目に飛び込んできたのは,つい先日開館したばかりの文化のみち二葉.旧川上貞奴邸である.川上貞奴は1900年のパリ万博でマダム貞奴といわれ世界的に一躍有名になった.日本の女優第一号とされる人物だ.貞奴は大正時代に,電力王と呼ばれ福沢諭吉の娘婿でもある福沢桃介と共にこの和洋折衷の建物で暮らした.
開館したばかりでテレビに取り上げられる機会も多かったため多くの人が並んでいた.中に入ると,らせん階段がある大広間には当時のステンドグラスなどが飾られており,優雅な気分になる.とても個人の家には思えない.
旧川上貞奴邸のすぐ近くに建つのが旧豊田佐助邸だ.豊田佐助は,自動織機を発明し今日のトヨタグループの礎を築いた豊田佐吉の弟であり,兄の事業を補佐した実業家である.タイル貼りのモダンな洋館に和館が併設されたまま保存され,何人が寝泊まりするのだろうと思えるほどたくさんの部屋がある.
佐吉,佐助,喜一郎ら豊田一族以外にも,醸造業を営む盛田家からはソニーを創業した盛田昭夫が生まれ育っている.また,陶磁器のブランドであるノリタケを創設した森村市左衛門もこの地域の出身.ブラザーや敷島製パンなどの企業も周辺地域から生まれている.
江戸期には武家屋敷が立ち並んでいた白壁町は,後に多くの財界人を輩出しており,近代と現代の歴史がほどよくミックスされた町並みが保存されている.
白壁町からは名古屋城へ向かって歩くのが歴史散策コースとしては王道であろう.しかし,ここからは今日一番の本命である鳥料理屋へと足を向けた.名古屋コーチンの専門店だ.その土地ならではの食事,これも歴史散策の醍醐味である.
(2005/2/12)
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