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仙石秀久が見た小諸を歩く
研究会で夏の軽井沢に来ていた.会場は駅前一等地のホテル.駅からの道中はアウトレットのショッピングモールに囲まれている.すぐ裏にはゴルフ場があり,近くの山にはスキー場もあるようだ.宿泊・遊び・買い物の全てがここでまかなえる.避暑地の夏ということもあり多くの人で賑わっていた.

前日に開催されるワークショップに参加するために急遽,軽井沢入りした.研究会の時の宿泊は予約していたが,前日に1泊必要だ.近くのホテルを取ろうとしたがどこも予約で一杯だった.夏休みの繁盛期だから仕方がない.ネットで調べるとしなの鉄道で20分ほど行った先の小諸にはホテルの空きがあるという.値段は安い.軽井沢の相場の半分以下だ.そのホテルを予約した.

小諸は古い城下町だ.五街道の一つ中仙道は軽井沢を過ぎ,信濃追分で分岐する.北へ行く道は北国街道だ.ここ小諸は北国街道の宿場町として栄えた.新幹線の止まる軽井沢駅に比べるとあまりにも小さな駅だ.観光資源は古い町並み.駅前の周辺地図に見入った.近くに城跡があり,大手門と三の門が現存している.共に重要文化財だ.

ホテルは駅のすぐ前で便利だ.値段が値段だが確かに古い.水が漏っているらしく部屋にはバケツが置かれていた.昔は宿場町というだけで人の往来があり栄えた.その後も観光業が盛んで避暑地として栄えた.しかし今,古い町並みだけでは観光客を呼べなくなっている.夜の町を歩くと飲み屋の灯りもまばらで人通りもほとんどない.商店街は閑散としていた.

次の日,朝6時に目が覚めた.せめて大手門だけでも見ておこう.眠い目を擦りながらホテルを飛び出した.朝一の冷たい空気が心地よい.7月の終わりとは思えない涼しい朝だった.大手門のそばに来た.ふと横に目をやると古い建物がある.周囲には立ち入り禁止のカラーコーン.今にも崩れそうだった.

地図を見ると本陣主屋とある.潰すのだろうか.それとも修復するのだろうか.景観からは区別がつかなかった.今にも朽ち果てそうだが立派な建物だ.古い建物を壊すのは簡単だが維持するのは大変だ.しかも一度潰してしまうと復活させることはできない.小諸はこの主屋を維持できるのだろうか.

地方が疲弊している.そういわれて久しい.ショッピングモールが立ち並ぶ軽井沢.歴史ある町並みが風化しそうな小諸.地方の中にも差がある.この違いは何だろう.

そう思うと居ても立ってもいられなかった.自分にできること,それはこの町の歴史を紹介すること.ただそれだけだ.それでも何かをしなければならない.時計を見た.会議の時間から逆算した.残された時間は2時間.すぐに歩き始めた.歩きながら地図を片手にコースを考えた.

小諸は歴史のある街だ.島崎藤村がここで教壇に立ち,高浜虚子がここに疎開した.2人ともこの大手門を見たはずだ.今は朽ち果てそうな本陣主屋も見たはずだ.藤村の使った井戸を横目に旧居跡を足早に通り過ぎる.すぐに町の目抜き通りの商店街に合流する.この時間だから開店していないのは当たり前だが,ペンキで塗り潰されたシャッターが目に付いた.

しばらく歩くと北国街道と交差する.そこを左折.光岳寺の足柄門を過ぎる.すると,さすが旧街道と思わせる古い町並みが目に飛び込んできた.中でも一際見ごたえがあるのが旧本陣だ.200年ほど前に建てられたという.屋根がせり出し重そうだ.今にも倒れてきそうな姿は単に古いからだけではない.古さ,豪華さ,大きさ,重厚さ,そのどれもが周りを圧倒していた.

小諸は城下町である.小諸城跡は今は二つの城門と石垣を残すのみだ.この地に城を構えようとしたのは武田信玄だ.東信濃の拠点にこの地を選び,信玄の命で山本勘助が縄張を敷いた.戦国時代の城は山城が一般的だ.山の頂に城を作る.不便だが守りやすい.しかし,小諸城は穴城だ.穴城とは城下町よりも低い城をいう.全国的にも珍しい城だ.

現在,城跡は懐古園と呼ばれている.本丸はなく跡地には懐古神社が建つ.その中央には鏡石.これは勘助が好んだといわれる石だ.表面が黒く光輝いている.一見して新しい.隕石だともいわれているがこれも違うだろう.実際には小諸城が勘助の縄張という説の史料的根拠はない.それでもその伝承が町おこしに役立てばいいと思う.以前,大河ドラマで風林火山があった.主役は勘助だ.その時の色あせたポスターが今もまだ城内に貼られていた.

小諸城を江戸時代の城下町として栄えさせたのは仙石秀久である.『築城400年,仙石秀久』そう書かれた幟が街角に立つ.信長から与えられたという永楽銭紋の下には『無』の文字が.秀久のシンボルである.

仙石権兵衛.有名ではないが,こちらの名の方がまだ通りが良いかもしれない.若い頃から秀吉に付き従い数々の戦功をあげた.蜂須賀小六と共に秀吉に付き従った.秀吉古参の武将である.本能寺の変の後は,淡路を平定し淡路洲本5万石を与えられた.四国征伐の後は讃岐高松10万石を得た.

しかし,九州征伐では島津家久に大敗.総大将でありながらも這々の体で讃岐へと逃げ帰った.置き去りになった長宗我部元親の嫡男・信親や十河存保など多くの武将が戦死.この醜態に激怒した秀吉は秀久を高野山に追放.大名から一転無禄になった.

その後,家康の口利きによって小田原征伐に加わることができた.この時に使った馬印が先ほどの『無』の文字である.大名から転落し,正に無の境地だったであろう.小田原城の北条軍を相手に懸命に戦った.そこで華々しい戦功を挙げ,小諸5万石を得た.秀久にとって家康は第二の恩人だ.秀吉死後は家康に近付き小諸の所領は安堵された.

無名なこの武将を採り上げた漫画がある.『センゴク』という漫画だ.戦国と仙石をかけているのであろう.この秀久が主人公だ.初めてこの漫画を知ったとき,有名ではない武将を主人公に据えたことに驚いた記憶がある.この漫画は読んでいないし,評価も知らない.ただ,最近の漫画やアニメ,ゲームの影響力は侮れない.この漫画を読んで歴史に興味を持つ人がいるかも知れない.小諸を訪れようと思う人がいるかも知れない.

きっかけは何でもいい.戦国BASARAという戦国時代が舞台のゲームがある.このゲームで戦国時代が好きになった,歴史に興味を持ったという高校生からつい先日メールを頂いた.きっかけなんて案外そんなものだ.

さて,城から帰る途中,はじめに見た本陣主屋の裏手に出てきた.先ほどとは変わって,まだ朝早くだというのに工事を始める人がいた.ハンマーを使って床をはがしている.思い切って声をかけた.質問はただ一つ.解体か修理か.その返事に安堵した.『こんな立派な建物は壊せない.もったいない.もちろん修理ですよ』

平成9年に長野新幹線が開通した.それまでは特急が止まる主要駅だった小諸駅はしなの鉄道としてJRから切り離された.新幹線の開業によって長野方面の利用客は在来線時代に比べて20%増えたという.しかし観光客はアウトレットのある軽井沢駅へと流れ,歴史ある小諸からは足が遠のいた.

歴史ある町並みが残る小諸.このすばらしい景観をこれからも残して欲しい.小諸のような観光地を新しく作ることはできない.歴史ある町並みを大切にしたい. (2008/7/29)

文章力向上のため,採点に御協力願います:
面白い, まあまあ, 普通, あまり, 面白くない

 

仙石秀久

大手門

小諸宿本陣主屋

光岳寺

北国街道ほんまち町屋館

小諸宿本陣

三の門

天守台

懐古神社

鏡石


今回歩いたコース(誤りがありましたらご指摘いただけますと助かります)

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