トップへ

  トップ 書評 掲示板 リンク

ヘンリー8世が見たハンプトンコートを歩く
ひょんなことから度々英国キングストンに来ることになった.キングストン大学と研究交流をしているからだ.ちょうど今回が3度目の中期滞在である.ヒースロー空港からキングストンへは路線バスでおよそ40分.途中でハンプトンコートを通る.以前から宮殿のような標識を見かけていたので何があるのか気にはなっていた.

距離から考えてキングストンから歩けるのではないか.そう思い,歩いてみることにした.いつも見慣れた風景のテムズ川.キングストン橋で渡る.ここから先はリッチモンドだ.道の左右はレンガ塀に閉ざされている.延々と何もない,ただひたすらまっすぐな道が続く.時折塀の向こう側には馬が見える.イギリスならではの光景を横目に黙々と歩き続ける.

看板の表示通りハンプトンコートには宮殿が建っている.ガイドブックにも紹介されるような有名な宮殿だ.ロンドンの中心地ウォータールー駅からは鉄道で30分ほどで着くという.宮殿は駅からも近く便利だ.ロンドンから日帰りで観光するのにもちょうど良いだろう.

ホテルを出てから小一時間ほど歩いただろうか.『All hail King Henry!』と書かれた看板を見かけた.ようこそ,ヘンリー王というところか.ここが宮殿への入口のようだ.2009年にヘンリー王が帰ってくる.そういった看板があちこりに立てかけられている.

2009年はヘンリー8世が戴冠してちょうど500年にあたる.それを記念してここハンプトンコート宮殿では4月から8月までヘンリー8世と6人の妻たちにちなんだ展覧会が開催されるという.それに合わせてだろうかライオン門など修理している箇所があった.

15世紀のイングランドにおいて諸侯は激しく疲弊していた.その原因は百年戦争(1337~1453)といわれるフランスとの領国争いと,その後の内紛・薔薇戦争(1455~1485)によるものだ.諸侯は著しく没落し,それに反するように王権が強化された.こうしてテューダー朝による絶対君主制が始まった.

ヘンリー8世はテューダー朝の2代目イングランド国王である.語学,スポーツ,音楽にその才能を見せたが,ヘンリー8世を有名にしているのは,6人もの妻を持ったことだ.離婚を認めていないカトリック教で結婚と離婚を繰り返した.

王を裁くことができるのはローマ法王だけだ.トマス・ウルジーはヘンリー8世の一番目の王妃との離婚問題をローマ教皇に取り成した.ウルジーは大法官であり教皇特使も勤めていたのだ.しかしカトリック教では離婚を認めていない.ローマ教皇の返事は芳しくなかった.それでもウルジーは粘り強く交渉した.

王妃はもともとヘンリー8世の兄の妃であった.しかし兄は若くして急逝した.だからヘンリー8世が代わりに娶ったのだ.ウルジーはそこを主張した.元々,結婚自体が無効なのだと.しかしローマ教皇からの返答は離婚の無効であった.ウルジーはこの返答をヘンリー8世に伝え,王の逆鱗に触れた.

この代償は高くついた.この時,ウルジーは王に取り入るためにハンプトンコートにある私邸を差し出した.ヘンリー8世はこの邸宅をたいそう気に入り,10年の年月をかけて宮殿に改築した.豪華な装飾を施したハンプトンコート宮殿へと生まれ変わったのだ.この宮殿は2つの顔を持っている.入り口からの風景は赤煉瓦造りで重厚な面持ちを持つ.それに対して背面からの風景は厳かな白亜様式だ.この2つを見比べてから中に入る.

一歩足を踏み入れるとそこには中世ヨーロッパさながらの光景が広がっていた.赤煉瓦の壁にはさまれた細い路地を歩く.見上げると赤煉瓦の塔.さらにその上には冬のロンドンの曇った空が広がる.視界の全てが中世イギリスの面影を醸し出していた.

ロンドンではバッキンガム宮殿が有名だ.衛兵の交代式を一目見るためにいつも人だかりができている.しかし,現在でも王室の生活に使われているため一般には中を見学できない.パリのベルサイユ宮殿,ウィーンのシェーンブルン宮殿.そういった宮殿をロンドンでも見たければハンプトンコートに来ればよい.あまり期待をしていなかったためにその衝撃は大きかった.

宮殿の真ん中には大きな広場があり,それを取り囲むように大小いくつもの部屋がある.宮殿内のキッチンはテューダー朝だ.800人前の料理が作られたという.中には教会もある.天井の装飾が見事だ.フロア地図を見ながらでも迷うような広さである.ヘンリー8世のステートアパートメントが修理中で入れなかったのは残念だ.

宮殿内も広いが,圧巻なのは外にある庭園である.その広さは東京ドーム5000個分以上にも及ぶ.大小幾つもの庭園は見ていて飽きない.ヨーロッパの宮殿によくある木でできた迷路もある.ロングウォーターと呼ばれる水の道は遥か先まで続いて先が見渡せない.まるで庭の中にテムズ川があるようだ.

ヘンリー8世には1人の息子と2人の娘がいた.ヘンリー8世の死後息子エドワード6世が跡を継ぐが夭折する.跡を継いだのは長女のメアリー1世である.しかし王女の命も長くはなかった.

テューダー朝が最盛期を迎えるのはメアリー1世の妹エリザベス1世の時世である.対外的にはスペインの無敵艦隊を破り,国内ではルネサンス文化の最盛期となった.エリザベス1世は生涯独身を貫き,バージンクイーンと呼ばれた.この女王亡き後は,ステュアート朝のジェームズ1世が跡を継ぎ,ヘンリー8世の血脈はここで途絶えた.

テューダー朝の基礎を築いたヘンリー8世は60軒以上の邸宅を所有していたいという.その中でもハンプトンコート宮殿を最も気に入っていた.ロンドン郊外にあるハンプトンコート宮殿.ロンドンまできたらこの宮殿まで足を伸ばしてみたらどうだろう. (2009/2/22)

文章力向上のため,採点に御協力願います:
面白い, まあまあ, 普通, あまり, 面白くない

 

ヘンリー8世肖像画

キングストン橋から見るテムズ川

リッチモンドとハンプトンコート

ようこそヘンリー王の看板

ハンプトンコート宮殿(背面)

ハンプトンコート宮殿

宮廷の泉

イギリス庭園


今回歩いたコース(誤りがありましたらご指摘いただけますと助かります)

トップページへ

Copyright(c) Masaki Onishi All rights reserved.