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メフメット2世が見たイスタンブールを歩く
イスタンブールは歴史の詰まった街だ.伝説によると紀元前660年頃にギリシアの都市国家の王ビザスが上陸し,町を創ったという.その地はビザンティオンと呼ばれ交易都市として発展した.その後330年にローマ皇帝のコンスタンティヌスは都をローマからビザンティオンに遷都.新ローマと名付けた.後にコンスタンティノープルと呼ばれるこの都市は,395年にローマ帝国が分裂した後も東ローマ帝国の都として繁栄した.

コンスタンティノープルはヨーロッパの最東端に位置する.北は金角湾,南はマルマラ海,東はボスポラス海峡に面しており,正に天然の要害だ.東ローマ皇帝テオドシウス2世は,ヨーロッパ側の陸地にもおよそ7キロ程の城壁を築き,外圧からの攻撃に備えた.この城壁はテオドシウスの城壁と呼ばれ,海岸線にも延伸しコンスタンティノープルの都市全体をすっぽりと覆うように取り囲んでいる.

コンスタンティノープルから少し東に目を向けよう.ボスポラス海峡を渡るとそこからはアジア側.アナトリアと呼ばれる地域である.アナトリアでは長らく諸侯の抗争が続いていたが,その中で台頭してきたのがオスマン・ベイを祖とするオスマン侯国である.オスマン侯国はアナトリアを徐々に併合し,ヨーロッパにも進出.繁栄を誇っていた東ローマ帝国の領土を侵略していき,15世紀にもなると東ローマ帝国に残された領土はテオドシウスの城壁に囲まれたコンスタンティノープルのみであった.

そんな頃にオスマン朝を継いだのがメフメット2世である.征服王と呼ばれるこのスルタン(皇帝)は1453年に10万の兵を率いてコンスタンティノープルへ進軍した.先陣のスルタンが試みて果たせなかったコンスタンティノープルの攻略に取り掛かったのだ.

オスマン軍10万に対して東ローマ帝国の籠城兵はわずか7千.その差は歴然としていた.鉄壁の守りのテオドシウスの城壁があれども守り通せるはずはなかった.それでも激戦は2カ月も続いた.籠城兵は疲労と飢えに悩まされ,終にはオスマン軍の城壁内への侵入を許した.この日コンスタンティノープルは陥落し,千年以上も続いた東ローマ帝国は終焉を迎えた.メフメット2世はオスマン朝の都をコンスタンティノープルに移した.この日を境にしてこの都市はイスタンブールと呼ばれることになる.

歴史の町イスタンブールに行った時のこと,帰りの空港でY氏とその奥さんに会った.Y氏も私と同じ仕事でイスタンブールに来ていた.イスタンブールは歴史地区ということもあって,歴史好きの奥さんもご同伴となったらしい.

その奥さんにどこか面白いところはありましたかと尋ねるとスルタンアフメット・ジャーミィはもちろんだがスレイマニエ・ジャーミィが良かったという.ジャーミィとはモスクのことだ.スルタンアフメット・ジャーミィは旧市街地の中心に位置する.別名をブルーモスクといい,イスタンブールで一番有名なジャーミィだろう.観光客でにぎわい,いつも入り口は長蛇の列だ.

トルコのジャーミィは中央に丸い屋根のドームが建ち,その周囲にミナレットと呼ばれる高い塔が立っている.ジャーミィはあちこちに点在し,どの場所にいても丸い屋根とミナレットが目に留まる.特に夕暮れ時のシルエットは美しく,トルコ特有の光景がイスラムの地にいることを実感させる.中でもスレイマニエ・ジャーミィは小高い丘の上に建っていることから圧倒した存在感を醸し出している.

このジャーミィを建てたスレイマン1世はメフメット2世から数えて4代目,つまりイスタンブール遷都後4代目のスルタンである.これを意識してスレイマニエ・ジャーミィには4本のミナレットが建てられたという.スレイマン1世は領土を東欧から北アフリカや西アジアにまで拡大し,法をもって広大な帝国を統治した.ウィーンを包囲してキリスト教世界を震撼させた.トルコ人からは立法者と呼ばれ尊敬され,ヨーロッパ人からは壮麗者と呼ばれ恐れられた.オスマン帝国が最も繁栄した時代のスルタンである.

日本でもスレイマン大帝の名で知られているが,Y氏の奥さんはあまり好きではないという.イスラムでは一夫多妻制が認められている.スレイマンにも2人の妻がいたが,その一人ロクゼラナをもっとも愛した.ロクゼラナは元々奴隷の身分であった.スレイマンはこの奴隷を愛し,金銭を積んで奴隷から解放.そして結婚した.ここまでなら美談になりそうだが,問題はその後のロクゼラナの行動である.

ロクゼラナはトプカプ宮殿のハレムに移り,そこで権力を手にした.日本でもしばしば大奥は政治を左右した.歴史の陰に女あり.どこの国でも同じである.ロクゼラナは気に入らない大宰相を処刑し,自分に子供が生まれるとスルタンを継がせるために,もう一人の妻の生んだ王子を処刑した.そんなロクゼラナを愛したスレイマンはやはり好きにはなれない.Y氏の奥さんはそういうのだ.女性の視点になると歴史の見方も変わるものである.今までにないスレイマンの一面を思い浮かべながら話しを聞いていた.

飛行機への搭乗開始のアナウンスがながれた.機内へ向かいながらも奥さんの講釈は続いた.それに比べて征服王のメフメット2世はやはり英雄だと.メフメット2世の妻の一人はキリスト教徒であった.オスマン朝はイスラム王朝である.しかしメフメット2世は妻にイスラム教を強要しなかった.イスタンブールにおいてもキリスト教やユダヤ教を禁止しなかった.他の宗教にも理解を示し,信仰の自由を尊重した.やはり男はこうでないといけないというのだ.

一連の講釈が終わった後に付け足した.メフメット2世のジャーミィにも行きたかったが,危ない地区だということで行けなかったと.メフィット2世のジャーミィ,そんなものがイスタンブール内にあっただろうか.アナトリアには関連する遺跡があったように記憶していたが,なんとテオドシウスの城壁の中にジャーミィがあるというのだ.席に着いた後にあわてて地図を調べてみた.危険な地区だというから旧市街地の西側だろう.そこで目にとまったのがファーティフ・ジャーミィである.ファーティフとは征服者を意味する.征服者のジャーミィ,文字通りメフィット2世のジャーミィである.

海外に行く時は何カ月も前からその国の歴史を調べる.今回も随分と前からイスラムや歴代のスルタンについて調べ,誰を書くか,どこを書くかについて考えていた.出国の前からイスタンブールではメフメット2世を書くことに決めていた.もちろんメフィット2世のジャーミィがイスタンブールにないかも調べていた.しかし見つけられなかった.確かにファーティフ・ジャーミィを取り上げているガイドブックは見当たらないが,メフィット2世のジャーミィを探し出すことができなかったのはなんとも片手落ちである.

イスタンブールの西方にヴァレンス水道橋というコンスタンティヌス時代の水道橋がある.旧市街地の中心地から見てちょうどその延長上にファーティフ・ジャーミィがあるのだ.しかもその先にあるテオドシウスの城壁にはエディルネカプと呼ばれる門があり,メフィット2世がコンスタンティノープルに入城した場所なのだ(こちらは知っていた).

少し距離はあるが,旧市街地の中心であるアヤソフィアから地下宮殿,グランドバザールを通り,ヴァレンス水道橋を抜けてファーティフ・ジャーミィ,カーリエ博物館,そしてテオドシウスの城壁へ向かう.この道こそがイスタンブールで歩いておくべき道であった.メフィット2世が入城した道をたどるなら反対の順番で歩いた方がいいかも知れない.

エディルネカプから市街地に踏み込んだメフィット2世は真っ先にアヤソフィアへと向かった.グランドバザールの近くに建つチェンベルリタシュはコンスタンティヌスがこの地に遷都した際に立てた記念碑だ.メフィット2世もこの記念碑を目にしたことだろう.

今見るアヤソフィアはモスクにも見えるが,当時はギリシア正教の教会であった.もちろん周囲のミナレットはなかった.アヤソフィアに入ったメフィット2世はこの教会をジャーミィに建て替えるよう命じた.内部にはメッカの方向を示すミフラープが作られ,ミナレットが建てられた.4本のミナレットの形状が違うのは建てられた年代が違うからだ.後年にはイエスや聖母マリアのモザイク画は漆喰で塗りつぶされた.アヤソフィアはジャーミィとして使われ,新しいジャーミィを建築する際の参考になった.

アヤソフィアと隣に位置するスルタンアフメット・ジャーミィを見比べたとき,一つの言葉を思いだす.領土で見るとオスマン朝は東ローマ帝国を併合したが,文化を見るとオスマン朝は東ローマ帝国に併合された.正にその通りである.オスマン朝の建築技術は東ローマ帝国の建築物の上に成り立っている.

そのことを確信するためにもイスタンブールで初めにできたジャーミィ,ファーティフ・ジャーミィを見ておきたかった.しかしその存在を知った時,飛行機は日本に向けて離陸する直前であった.イスタンブールに大きな宿題を残した.そんな気持ちである. (2010/8/27)

文章力向上のため,採点に御協力願います:
面白い, まあまあ, 普通, あまり, 面白くない


塩野 七生「コンスタンティノープルの陥落」 新潮文庫

「あの街をください」二人から離れて控えていたトルサンにも,その瞬間,老宰相の顔が蒼白に変わり,そのままで硬直したのが見えた.反対にマホメッドの顔が,湖のように静かなのも.マホメッド二世が,コンスタンティノープルという言葉を口にせず,ただあっさりと,あの街,と言ったがために,かえってカリル・パシャには,若者の決意が並々でないのを悟るしかなかったのである.

 

メフメット2世の図

テオドシウスの城壁

スルタンアフメット・ジャーミィ

地下宮殿

テオドシウス1世のオベリスク

チェンベルリタシュ

トプカプ宮殿ハレム

ガラタ塔

アヤソフィア

アヤソフィア内部の円盤

アヤソフィア内部のイエス


今回歩けば良かったコース(誤りがありましたらご指摘いただけますと助かります)


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