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小野道風が見た春日井を歩く
愛知県春日井市は書道が盛んな町である.町のあちこちで頻繁に書の企画展や臨書作品の募集が行われている.なぜ,この地で書道が盛んなのか?それを説明する前に,書の歴史について簡単に説明したい.

奈良時代,多くの文化が中国から流入した.書道の名手として三筆と呼ばれた空海,嵯峨天皇,橘逸勢(たちばなのはやなり)は唐様の書を追求した.多大な影響を与えたのは王羲之(おうぎし)だ.王羲之は東晋時代(四世紀頃)に活躍した中国第一の書人である.

平安時代になると,中国文化の模倣から脱却し,日本独自の文化が花開いた.国風文化である.書においても例外ではなく,小野道風(おののとうふう)は王羲之に多大な影響を受けながらも和様の書を模索した.

その後,和様の書風は,藤原佐理によって受け継がれ,藤原行成によって大成.道風,佐理,行成を三跡(さんせき)と呼ぶ.この三蹟の一人である道風が誕生したという伝承があるのが春日井である.生誕の地と伝わる松河戸には『春日井市道風記念館』が建つ.

道風は遣隋使で有名な小野妹子を祖先とし,藤原純友の乱を鎮圧した小野好古の弟.さらに小野小町をいとこに持つ.そんな華やかな家系をもつ道風が本当に,このような片田舎で生まれたのだろうか?

書を見ているうちに沸々と疑問が湧いてきた.記念館の学芸員に尋ねてみた.

根拠は塩尻と麒麟抄という二冊の書物らしい.共に室町以降の書物であり道風の時代のものではない.父・葛紘(くずお)が松河戸に流され,地元の娘との間に子が生まれた.それが道風だというのだ.

「事実は多分違うでしょうね」学芸員の方は続けた.これは伝承であって葛紘がこの地に流されたという記録は残っていないという.

「でも,真実かどうかはどうでもいいんです.これをきっかけに皆が書に興味を持つ.春日井では昔から書が盛んです.その事実が大切なんです」確かに理由はどうでもいい.確かに春日井は書の町なのだ.

道風記念館には,道風のものだと伝わる書が幾つか展示されている.本阿弥切は古今集の断簡だ.江戸時代の本阿弥光悦が所有していたことからその名前が付けられた.道風の筆跡だと言い伝えられているが,真跡の確証はない.筆力は強いながらも優雅な筆跡である.

道風といえば烏帽子姿で傘を手に持ち,柳に飛びつく蛙を見ている姿が有名である.花札の絵柄にもなっている.『蛙からひょいと悟って書き習い』と古川柳にも詠まれるように,蛙が何度も挑戦している姿を見て感心し,道風は書道に専念したという.

筆を持つ道風の画像として古くから伝わるものは二種類あり,不思議なことにそのどちらも硯箱が左に置かれている.右手に筆を持っているにも関わらずだ.このことには古くから疑問を持たれていたようで江戸時代の書物には道風がおかしいのではなく当時は誰もが硯を左に置いていたという記述が見られる.

しかし,源氏物語絵巻などに出てくる硯は正面に置かれているため,この記述の信憑性は低い.道風は左効きだったのだろうか?絵の構図をまとめるために架空の硯を書いたのか?今となっては事実は分からないが,絵一枚からも想像が膨らむ.

道風記念館の隣には観音寺があり,門の横には道風の像,境内には筆塚が立っている.またすぐ近くには,小野道風誕生伝説地の祠が立つ.

道風の生まれた地は本当にここなのか?展示されている書は道風の真跡なのか?さすがに平安期のことともなると信憑性は低い.でもそれが本当か嘘かはどうでもいい.地域の振興になればそれでいい.学芸員の言葉が胸に残った. (2006/3/24)

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小野道風画像

道風記念館

伝小野道風筆本阿弥切

観音寺

筆塚

小野道風誕生伝説地

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