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飛んでイスタンブール
今年の画像関係の国際会議はトルコのイスタンブールでの開催です.イスラム圏は今まで行ったことがなかったのでとても楽しみにしていました.イスタンブールはヨーロッパの最東端.ボスポラス海峡をはさんで向こう側はアジアであり,正にヨーロッパとアジアの境界というべき場所に位置します.

トルコ航空でイスタンブールに到着.地下鉄とトラムを乗り継いで旧市街地の中心地にたどり着いた時には,すっかり日が暮れてしまっていました.トルコは人口の99%がイスラム教徒.会議開催のこの時期はなんとラマダン(断食月)です.ラマダン中は日の出から日没までの期間,物を口にすることが禁じられています.食べ物だけではなく水を飲むのも禁止です.敬虔な信者は唾も飲みこまないそうですが,妊婦や年寄り,観光客はラマダンを守る必要はなく,この時期に旅行にでかける信者も多いとか….ここは観光地イスタンブール,割とゆるいようです.

日が暮れると食事をしてもいいので,日が暮れると旧市街地では毎日がお祭り騒ぎです.この賑わいを見ていると通常時よりもラマダン時の方が食料の消費量が多くなるというのも納得です.ホテルは旧市街地にあるブルーモスクとして有名なスルタンアフメット・ジャーミィ(右の左下の写真)のすぐ近く.夜遅くまで何とも賑やかです.セマー(旋舞)といわれるクルクル回る踊りがあちこちで行われていました.なんかラッキー.

次の日の早朝にはア〜♪とモスクからアザーンが流れてきて目が覚めました.アザーンはイスラム教徒が集まるための合図で,お経のようなものが拡声機を使って放送されます.寝ぼけ眼に時計を見るとなんと朝の4:30.毎朝アザーンが目覚まし時計代わりでした.

次の日からは会議に出席しないといけないので,毎日少しずつ早朝のうちに町をぶらりと散歩します.スルタンアフメット・ジャーミィ,アヤソフィア,トプカップ宮殿,地下宮殿.ホテルの周辺に見どころが集まっているので,効率的に回ることができます.

イスタンブールの昔の名前はコンスタンティノープル.もともとはローマ皇帝のコンスタンティヌスが330年に遷都したローマ帝国の都でした.後にビザンツ帝国と言われるこの帝国は1453年にイスラム系のオスマン朝に滅ぼされ,都はイスタンブールに改名されます.そのためローマ時代の古い建築物にはキリスト教の文化とイスラム教の文化が混在しています.

その代表的な建築物がアヤソフィア(上の右下の写真).ローマ時代にギリシア正教の大本山として建築された教会です.壁には宗教画としてキリストなどが描かれていたのですが,オスマン朝によって征服された後に壁は塗りつぶされ,教会からモスクに改修されました.今ではその絵が修復され,教会的雰囲気とモスク的雰囲気の残る奇妙な建物です.まわりにそびえ立つ4本のミナレットはモスクに改修された時に建てられたものです.トルコのモスクは丸屋根の周囲に背の高いミナレットがそびえ立つのが特徴ですが,実はこれ,後世に作られたツギハギの建築物だったのです.

ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン朝は高度な建築技術を持っていませんでした.そこで,ビザンツ帝国の建築技術を踏襲したのです.だから後に作られたモスク(ジャーミィ))も丸屋根にミナレットというアヤソフィアと同じような建築物となっています.

これまでに見たことのない装飾はイズニックと呼ばれるタイルです.青や赤の色鮮やかな文様が刻みこまれています.トプカプ宮殿のハレム(日本でいえば大奥でしょうか…)のイズニックタイルは見事でした.

トルコ料理といえば,フランス料理,中華料理と共に世界三大料理に数えられますが,ケバブくらいしか思いつきません.

朋はサバサンドに期待していたようですが,これが全くの期待外れ.パンに鯖を挟んだだけの料理で(サラダを挟んでいるものもあります),組み合わせとしては悪くはないですが,特段美味しいものではありませんでした.もう一工夫すれば美味しくなりそうなのに…

ケバブも美味しかったですが,トルコで食べた中で一番美味しかったのはキョフテ.これは挽肉を固めたもので,唐辛子のピクルスとの相性が抜群でした.肉料理以外ではフィッシュマーケットで魚を食べましたが築地に敵うはずはありません.世界三大料理といえども恐るるに足らず.やはり料理は日本が一番です.

普段使う交通機関は路面電車のトラムヴァイと地下鉄です.会議場にもこの2つを乗り継いで移動します.切符はジェトンと呼ばれるコインで毎回購入するのが面倒なので,アクビルという電子マネーを手に入れました.

地下鉄は1875年にイギリスとフランスによって作られたもので,ロンドンの地下鉄に継いで2番目に古い路線です.実はこの地下鉄,パリに地下鉄を作るための試作版で,駅は2つしかなく,わずか3分で終点に到着します.それなりに電車網は発達していますが,乗り換え駅が離れていたりで,なんとも不便でした.古い町だから仕方がないのだろうと推測します.

最終日は完全な移動日で飛行機までの待ち時間があったので,ローマ時代の城壁を見るために国鉄に乗りました.ヨーロッパの東の終着駅はスィルケジ駅.オリエントエクスプレスの終着駅です.電車に乗るとびっくり!めちゃくちゃ古くてボロいです.しかも走りはじめてまたまたびっくり.窓はともかくとしてドアまで開けたままで走ります.ドアの開閉は手動で,暑いので走っている電車のドアを開けているのです.

イスタンブールはローマ時代に作られたテオドシウスの城壁によって完全に周囲を守られています.この城壁があるためにオスマン朝はコンスタンティノープルを陥落させるのに大きな犠牲を払いました.国鉄で向かったイェディクレはその城壁の中でも比較的保存状態のよい場所です.こういう古い城壁はほとんどが外から見学するだけなのですが,イエディクレでは城壁に上ることができます.暑くて大汗を書きましたが,城壁の上からはマルマラ海が一望できて絶景でした.柵も手すりもないため城壁から降りるのは少々怖かったです…

イスタンブールでは何度も日本人ですか?と声をかけられました.時には日本語で時には英語で.

「僕の彼女は日本人なんだ」,「青山に行ったことがあるが君はどこから来たの?」などの会話から「君の来ている服はニュージーランドのものだけど(ニュージーランドのラグビーチームのポロシャツを着ていた時のことです)日本人だよね」とか「あっ落ちましたよ」と言われたので振り返ると「冗談冗談」といって去るなど意味の分からないものまで,何度も声をかけられました.

時には「絨毯買いましたか?」のような怪しい時もありましたが,大部分が世間話をしてから「何か困ってますか?」といって「困ってない」と返事をすると「それは良かった」といって去っていくような良心的なものでした.

建物や街並みはローマに似たヨーロッパ的な雰囲気でしたが,民俗的には極めてアジア的な人懐こさを感じました.今の日本になくなってしまった懐かしい雰囲気を感じたのは私だけでしょうか? (2010/8/22〜28)

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