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神谷伝兵衛が見た牛久を歩く
今回は歴史の歩き方風に.

神谷傳兵衛(でんべえ)は黒船来航から3年後,三河に生まれた. 家が貧しく,幼いころから働きに出ていた傳兵衛は浅草に酒の一杯売り家を開業した. 店の名は出身地にちなんで「みかはや銘酒店」.(サザエさんの「みかわやさん」はここから取ったのだろうか?)

売り出したのは輸入葡萄酒を原料とする蜂印葡萄酒である. 甘さが日本人の口にあったのだろう.評判が評判を呼び,国内はもとより海外でも高い評価を得た. 傳兵衛はここで得た資金を元に,日本国内での葡萄酒造りを実現しようとした.

葡萄園として選んだ地が牛久だ.フランスから買い付けた葡萄の苗に実がつくことが分かると醸造場のシャトーを建設した. 日本で始めてのワイン醸造所である. 当時の建物がそのまま残るシャトーカミヤは今では神谷傳兵衛記念館になっており,葡萄酒造りにかける傳兵衛の情熱を知ることができる.

その後,みかはや銘酒店は神谷バーに改名.今も営業を続けている. 神谷バーで製造販売を始めた酒に電気ブランがある.電気が珍しかった当時,多くの商品に電気が冠されて売られた. アルコール度数が高く,舌がしびれる様子と電気のイメージがよくマッチした. この酒,以前から我が家にもある.買ったのは大学生の頃だろうか.正直おいしいとは思えない. 昔のお酒ということで飲み会のネタ用に買った酒である.ここ牛久と関係することを知って驚いた.

シャトーカミヤの葡萄園は駐車場等に変わり今は残っていない. ここで販売されている牛久ワインも,この地で醸造されたものではなく,瓶詰めが行われているのみである. 歴史に永遠がないことを残念に感じながらも牛久ワインを一本買い,この地を後にした.

牛久のもう一つの見所は大仏である.とにかく大きい.高さ120メートル.総重量が4000トン. 奈良の大仏が手のひらに乗るくらいの大きさだ.世界一大きい大仏としてギネスブックにも登録されている.

大仏の胎内に入ると,そこは怪しげな世界.リアルなTRICKを体感できる. 信心深い訳ではないが,こういう馬鹿げた企画,応援したくはなる. 1000年くらいしたら歴史の教科書に載っているのかも知れない.(2006/6/24)

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