トップへ

  検索 辞書 交通 地図 天気

思いつきのイタリア旅行
旅行でイタリアに行ってきました.事の始めは映画「ラスト・サムライ」. 映画始まりまでの待ち時間を潰すのに旅行代理店でパンフレットを見ていたら… イタリアに行くことに決まっていました. 一週間程の休みをもらってべネチア・フィレンツェ・ピサ・ナポリ・ローマとイタリア縦断の旅の始まりです.

地球温暖化による海面の上昇によって50年後には沈むと言われているべネチアは水の都という呼び名の通り, 街が水に浮かんでいるようで移動手段は徒歩か船です. マイカーではなくマイシップが海辺に繋がれており, 駐車禁止ならぬ駐船禁止の看板が家の前に貼られてあったりします.

サンマルコ広場をうろうろした後,ゴンドラ遊覧を楽しみました. テレビでも放送されている通り,確かに映像的には奇麗なのですが,水に近いということもあって足の芯が寒い… それに加えて結構水が汚れており,ドブ臭さが漂っていました. テレビでは味わえないその場の雰囲気といったところでしょうか.

今回のツアーを選んだ一番の理由はベネチアのカニーバルに日程が合わせてあるからです. ベネチアのカニーバルは世界三大カーニバルの一つです. (ネットで調べたのですが世界三大カーニバルの候補はリオを始め5つくらいあるようです, 世界三大がっかりの候補は4つくらいあるようです) せっかくだからと思ってフェイスペイントをやってもらったのですが, 本格的に仮装している人達には太刀打ちできません. 日本人の中にも本格的に仮想している人がいて,貴婦人の格好や着物なんかも見かけました.

またカーニバルに来る機会があれば,武士の甲冑でも身に付けて本格的な仮装をしたら外国人には喜ばれそうです. 「忍者」と手書きされた頭巾(というかタオル?)を被っている小学生くらいの外国の女の子もいました. なんやねん,それ.

サンマルコ広場はカーニバルに合わせて人がどんどん多くなっていき, 仮装行列が歩き始める頃には歩くのもままならない程になりました. あんまり遅くなると少し離れたホテルに戻れなくなるということで, 後ろ髪を引かれつつも,水上タクシーを使ってホテルに戻りました.

次の日はフィレンツェです.ルネッサンス発祥の地フィレンツェは花の都と言われており, ミケランジェロ広場から見下ろす街は中世ヨーロッパを感じさせます… と言いたいところですが,少し霧がかかっていました. しかし,昼を過ぎると次第に霧もなくなり,ジョットの鐘桜の階段414段を上って眺めた街は, 中世ヨーロッパにタイムスリップしたような気分を与えてくれました(中世ヨーロッパには行ったことないけど).

フィレンツェでの目玉はウフィツィ美術館です. 私はあんまり美術館には興味がないのですが,朋はとても楽しみにしていたようです. フィレンツェの君主メディチ家がヴェッキオ宮に続く事務所に集めた美術品を公開したのがウフィツィ美術館です. ウフィツィ美術館は日本語訳で「事務所美術館」だとか… 有名な絵としてはビーナスの誕生がありました.

他にもダビンチやミケランジェロの絵などもありましたが宗教画ばかりでした. キリスト教のことをもう少し知っていたら興味深く見られるのかも知れません.

次の日はピサです.ピサの街は何もないところにピサの斜塔だけがドドンと建っているのかと思っていたら (そういう写真しか見たことがなかった),そうではないことにびっくりしました. 横にドゥオモ(大聖堂)が立っており,斜塔は鐘桜だった訳です.なるほど斜塔の形状は細高いし,確かにそんな感じだ.

同じようなポーズをして写真を写している人が多くて恥ずかしかったのですが, 斜塔を見るとやらずにはいられませんでした.(考えることは皆同じ…)

長い間,傾きを止めるための作業が行われていたようなのですが, その工事は終了しており,階段で上まで上れるということだったので上ってきました. 当然,中の螺旋階段も傾いており面白かったです.(こちらは293段) 最上階は簡単な手すりがあるだけで結構スリルがありましたが, 重さの異なる玉を持っていなかったのでガリレオと同じ実験をすることはできませんでした. 真偽はともかく,ガリレオが実験したとされるのは1604年で, さらにそれから450年も前にこれだけ立派な建物が建て始められたと言うからびっくりです.

ピサを観光した後は,イタリア新幹線ES*(イーエススター)に乗って, フィレンツェからナポリまで列車の旅です. 3時間半くらいだったので,東京から大阪と言ったところでしょうか.

ナポリは不思議な街でした.まず汚い…これはともかく,車の運転がすごい. 大きい交差点でも信号のないところが多く,「止まったら負け」みたいな感じで,渋滞の中クラクションが鳴り響く. 信号がないので人が道路を渡れないと思いきや, 人は車がビュンビュン走っている4車線くらいの道路を所構わず平気で渡ります. それでもちゃんと車は急ブレーキをかけて止まってくれます.それがナポリでの道路の渡り方らしい. 恐くてそれができない人は信号がないので道路を渡れません. これには少しびっくりしました.もちろん大概の車はどこかヘコんでいましたが… まぁ,車のバンパーは当てるためにあるっていう国は多いですからね.

ナポリからバスで30分ほど行くとポンペイです. 紀元一世紀にベスビオ火山の噴火で死の灰に埋もれてしまった街です. 火山灰に埋もれていた責で様々な歴史的な資料となるものが残っています. びっくりしたのが人.火山が爆発してガスが発生したのでしょうか, 鼻や口を押えてしゃがんでいる人がリアルに残っています. といっても人の形をした石膏で本当の人ではないのですが,人の上に火山灰が降り積もり, 腐敗してしまった人の部分だけが空洞になって発掘されたため, そこに石膏を流すことで当時の人の形状をそのままの状態で復元することができてます. もがいている犬の石膏などもありました.

ポンペイは今から1900年も前の遺跡ですが,部屋・トイレ・風呂・パン屋やバーなどの様子を見る限り, 生活レベルは電気がないという以外は今とほとんど違いないように思えます.

また,カプリ島にも行ったのですが,波があったため残念ながら青の洞窟への舟は出ていませんでした. まぁ,この時期は難しいでしょうね.

最終日はローマです.ここは街すべてが遺跡のようです. 円形競技場コロッセオは紀元80年にできて,収容人数が5万人というからびっくりです. (東京ドームと同じくらいです) よく見る写真では半分が崩れたコロッセオが写っていますが, 後の人達(といっても15世紀前後です)が表装の大理石や石材を建築資材として切り取って使ったらしいです.

また,トレビィの泉では後ろを向いてコインを一枚投げてきました. 言い伝えによるとコインを一枚投げるとローマに戻って来られる. 二枚のコインを投げると結婚できる.三枚投げると離婚できるとか. 確かに一枚だけ投げてきました.多分…

ローマには世界一小さい国であるバチカン市国があり, そこにはカソリックの総本山であるサン・ピエトロ寺院があります. キリスト教徒ではない私にとってはたくさんある寺院のうちの一つでしたが, ローマ法王なども眠っておられるので,信者にとっては聖なるところなのだと思います.

イタリアに行ったと言うと食べ物はおいしかった?と聞かれるのですが, ツアーで行ったので高級な所で食べていないのもあり感想としては「まぁ普通」でした. やはり,海外に行くと食事は慣れ親しんでいる日本のものが良いと思います.

今回はイタリアをとりあえず見て回りたいと思ったため,ツアーで行きましたが, 皆に話しを合わせないといけないし,自由時間が少ないし,もうツアーでの旅行はいいかな… 英語が全く通じないところや今回のようにざっと見て回るような移動を主体にしたい場合にはツアーの方が楽なのですが, どうも海外に来ている気分がしません. (2004/2/13〜2004/2/20)

トップへフォトギャラリーへ

月に2回程度の更新を目標としています

Copyright(c) Masaki Onishi All rights reserved.